やりたいことできないこと

しにたい



あーあ…。もうどうしよう。全然自分の演技が面白くない。この一年で自分は役者として、演劇人として成長したという自負はあるし、周りもそれは認めてくれている。
でも、改めて自分の演技を見つめてみると、まったく面白くも上手くもない。
ぶっちゃけ、「新人よりは上手い」と思い込んでいた。でもそれは間違いだった。自惚れも大概にしろ。
最近、新人がぐんぐん成長していくのがわかる。みんな輝いている。それに比べて、私はむしろ下手になってる気すらする。
竹とんでもSONICでもそう。演出の望む演技が出来ていない。
私はカメレオンになりたい。芝居によって色を変え、その場に合った演技がしたい。凡才の私が天才である周りに対抗できるのはその点ぐらいしかないのだ。演出の意図を汲み、自分がいち早くその色に染まる。あわよくば演出の意図を全体に伝える手伝いがしたい。

まぁそんなのは夢物語であって。実際は全く出来ていない。現状は単に出しゃばってるだけだ。
もちろんその全てが悪いとは思わない。微力ながら他の役者や演出の役に立てれば、と思ってやっている。
だが、それが誘導的になったり、演出の領域を侵犯してしまっているのは問題である。悩ましい。

最近色々な人と自主練の必要性について話した。
自分が出ていないシーンをやっているときには、それを見ているべきか、自主練をしにいくかという話し合いである。
私の考えとしては、そのような状況においての自主練は不要だと思っている。
「練習中に議論をするべきではない」という意見をちらほら聞いたが、私はそれが芝居の面白さであると思っている。
演劇に効率性はそれほどいらない。非効率的なぐらいがいい。新歓公演でそう感じた。
自分にあった作り方をするべきである、と。
まぁ、その演出が、芝居が、劇団が求めるものによるとは思うが。
色々聞いて話して考えれば良い。議論に首を突っ込めばいい。特に新人公演なのだから、芝居の作り方を学べばよい。
確かに、練習時間が少ないと不安になるかもしれないが…。まぁ一長一短ではある。
自主練は練習時間以外ですればいいと思う。

ただ、最近他人に対して自分の価値観を押し付け過ぎな気もする。お前はそんなに偉いのかto自分。
芝居の作り方は実に色々である。自分の意見と合う合わないはあるのに。
いや、でも、その方針に対して明確な哲学と目的と理由があれば全然問題はないのだ。
ただ、よくわからないまま否定してしまうのは私の良くない所である。もっと冷静にならねば。


話は変わって。
今日は劇団系学祭企画についてのミーティングに出て来た。色んな人がいた。沢山集まった。
……沢山いすぎた。こうなると尻込みしてしまう。私は小さい集団で芝居をつくりたいのだな、と思った。
それに、もし関わらせていただけることになったとしても、今の自分に出来るのか、と思ってしまう。

私が芝居をやる理由はただ二つ。自分のためとSONICのためである。割合は今は3:7ぐらい。
基本的に、自分の獲得したものを元にSONICの芝居が少しでも良くなれば、と思っている。その為にはまず自分が経験を積んで、少しでもいい演技ができるように、少しでも独自の演劇哲学を練ることができるようにならねばならない。

最近は集客力が著しく落ちている。これは憂慮すべき自体である。客足を伸ばすにはもっと面白い芝居を作らねば。
そんなわけで、もし私が犠牲になって少しでも良い芝居ができるならば喜んで犠牲になろう。どんな立場であろうとも。

考えて見れば、肋骨は完全に自分のための芝居だなぁ…。こういうのも大切にせねば。本気で頑張る。

何の話だっけ…。えぇと、あ、そうだ。劇団系の話だ。
そんな訳で、私としてはSONIC秋公演があるならばそちらに集中したい。肋骨で十分贅沢してるんだもの。
今度はSONICのために頑張りたい。あと単純に人多すぎ。私いらないだろ、多分。
でも、少しでも多く役者やりたいなぁ…。まぁ金ないけどね。


うわー。この文章美しくねぇ…。だめだ鬱だ。あー…。